江戸時代、出島が日本で唯一の外国との窓口だった頃、長崎の町は全国から多くの人たちが集まり、とても賑わっていました。長崎の鯨食文化はそのような背景と共に開花しました。
当時、九州エリアの鯨はすべて大村湾にある東彼杵(ひがしそのぎ)に水揚げされ、そこで解体されたものが九州各地へと運ばれていました。その中でも、お金持ちが多く裕福だった長崎には最も良い部位が運ばれました。また距離も一番近かったため、鮮度が高い状態で届けることができました。そのため、長崎では「鯨は旨い」という認識で広まり、他の地域では見られぬほど鯨食文化が発展しました。
その風習は今もなお続いており、正月や結婚式など祝いの席で鯨を食べたり、町のあちこちで鯨料理を見ることができます。ゆえに長崎は全国で最も鯨の個人消費が多い県となっているのです。