ねまることは当たり前
みなさんは、食べ物が腐る、ということをご存じでしょうか。
失礼しました。ご存じですよね。テヘ。
今は食品添加物などにより腐敗を抑え、食品が腐敗するという状況を確認する前に消費期限や賞味期限を見て、廃棄する世の中になってきました。
食の安全を考える時に一つ言われる食品添加物、それはとても便利なものですが、私を含め若い世代は、それによって食品が腐敗するということを五感で確かめることができないきっかけにもなっているようです。
先日、ウエカツこと上田勝彦さんにお逢いしていろいろ考えさせられました。
「食の安全」とは、自分で学んでつかみとるということです。
その昔、江戸時代は買う側も真剣だったそうです。
そりゃそうですよね、添加物もない、商品が腐ってないかどうなのか、買う側も真剣に選ぶわけです。五感を使って自分の目利きの判断で買っていたわけです。
しかし、今はお膳立てされている事が当たり前になっています。
長崎弁で、食品が痛むことを「ねまる」と言いますが、ねまっている状態がわからない人が増えてきています。
食品添加物を見直すと共に必要なのは、食品は腐るんだ~ということをアピールすることも大事です。
時代と共に便利さを追求して良いこともたくさんありました。でも今は原点回帰の世の中に向かっているように思います。
でもそれはまだまだ趣味や嗜好品レベルじゃないかなと感じます。
本当に食にこだわりのある人や、お金を持っている人だけのニッチな市場な気がして。
でも、食の安全とは何でしょうか。添加物だけの問題でしょうか。
上田さんがおっしゃったのは「一物全体」
安全な食を追求したら、今は地球上に何もありません。どれも食べられません。
でも身体の事を考えたら、バランスよく、まんべんなく食べるということです。
米を食べ、魚を食べ、鯨を食べ、野菜も食べ、肉も食べ。偏った食生活をしないということです。
しかしその中でも水産物は嗜好品化していて、外で食べるもの、という風潮になっています。外食で晴れの席に食べるもの、という傾向になっている世の中、家の中でも食べることができるようになろう!と
立ち上げたのが Re-fish
一度皆様に食を見つめ直すきっかけになっていただければ、嬉しいな。