美味しさと、想像と。
「自分が食べてないものは薦められない」
かつて鯨肉の食わず嫌いだった私だけど、
今では鯨の加工商品を工場に発注して作ってもらう度に
毎回実物を見て、選別時に見て、食べて判断する。
くじらの肉は実際、中を開いて見ないとわからないものも多い。
一定の規格で原料は仕入れるが、工業製品ではないので一様ではなく中身は様々だ。
とても上物が出てきた時や、飛び上がるほど美味しかった時は
すぐお客様にお知らせしよう、と心が躍る。
でもイマイチだったときは、
「うん、なんかわたしは好みじゃないけど
好きなお客さんが要るかもしれない。この子見た目はイマイチだし
風味もそこそこだけど、悪い子ではない!」
という判断で、その状態や性格を伝える。
そういうことは当たり前であるけれど、伝えることは簡単ではない。
例えば「歯が悪いから、硬くないものをあげたい」
と言われることがある。
でも、どの程度の鯨肉を、その方が硬いと思うのか、柔らかいと思うのか
わたしはすぐにはわからない。
その人の立場になって考える、ということ。
想像をするということから始めることになる。
それは簡単ではないけど、作ったものをどんな状態でお客様が食べるのか
どんな風に使っているのかを、考えることがとても大切だと思う。
その使い道がなければ、どんなに美味しい鯨でも商品でも
いーらない!
と、なると思う。
ただ美味しいだけでは、ダメなのである。
美味しいとは、とっても主観的なんだもの。