捕鯨問題と鯨の食文化について
南極海の調査捕鯨におけるICJの判決、楽天市場の鯨肉取り扱い禁止などを受け、取材や、お客様からの励ましのメールなどいただき、めまぐるしい日々を過ごしていました。ご心配をおかけいたしました。そして、応援いただいた皆様、ありがとうございます。
捕鯨問題は複雑ですが、わたしが現在感じている状況を客観的にお話したいと思います。
1) まず、他国と自国の食文化に対して、誰も禁じることはできないということ。
2) 大企業故の身の護り方
3) 鯨肉を身近に感じられない日本の状況
4) 捕鯨問題のそもそもの始まり。
まず、他国や自国の食文化に対して誰も禁じることはできない、ということ。これは当然のことです。しかし実際、鯨の食文化を感じたことのない地域、人たちの中には
「でもさー、わたし鯨食べたことないし、興味ないから、そんなに海外から言われるんだったら、もういいじゃん?」
という意見の方も居ます。
しかし、そんな浅はかな考えで済ませて、自分の生活に関係のない(と思っていたこと)事をどんどん排除すると、いつの間にか、それは自分に関係のある事に繋がってきて、跳ね返ってくると思いませんか?
かと言って、身近に感じることができないことを深く考えることは難しいことでもあります。
「でも食べてみようにも、近所のスーパーとかに売ってないんだもん」というお声も聞こえてきそう、ええ確かに。
「食べてみたら、美味しくなかった!」ええ、そういう外れの鯨肉に当たった人は、もう二度は無いかも。
「昔食べてた鯨は美味しくなかったよ~」ええそういう方もいらっしゃる、でも美味しい鯨肉を知らないだけ。
日本国内でも、様々な捉え方の方が居ます。
文化に対しても、味に対しても、まとまりが無いのです。
だからといって、「鯨肉を食べること」は、誰かに否定されることではありません。
しかし、国内で鯨肉が流通するには難しい状況があります。
楽天市場が鯨肉を禁止商材とした大きな理由は、イギリスのNGOの環境捜査局から
「楽天は世界最大の鯨肉市場」だと非難され圧力があったからです。
楽天市場は、大きな大きなショッピングモールです。
世界も相手にする企業に発展しなければ、名指しで言われることもなかったかもしれません。
この前例としてamazonでも同じようなことがありました。
これは、今までも大企業にはよくある話で、外資系の量販店なども、海外の環境保護団体からの圧力がかかって、鯨肉の取り扱いをしないのです。だから日本全国の近所のスーパーにも並ばない。
ひどい!と思うかもしれませんが、立場が変わったらどう思いますか?自分がそこの社長なら、社員なら。鯨肉よりも、他に護るものがたくさんある私企業です。
だから鯨肉の消費は習慣とはならず、身近に食べることもできず、考えることすら遠のいていきます。
しかし、鯨屋は、無くなりません。
そういう流通経路は仕方ないと諦めながら、独自で昔から地道に鯨肉を食べたい人に届けてきたのです。
そもそも、では何故この捕鯨問題は始まったのでしょう。
もともとアメリカは、第二次世界大戦まで鯨油を獲っていました。
でもその後、石油や植物性油脂を原料とする代替品が大量に製造され、鯨油が要らなくなってしまいました。
1970年代初め、アメリカはベトナム戦争の泥沼に入り込みました。
枯葉剤の大量投下と環境への壊滅的影響、反戦運動の盛り上がりと麻薬の蔓延、脱走兵の続出等々、反米、反体制、反戦気運をなんとしても方向転換させる戦略を考え出す必要があったのです。
その結果、作戦として自然保護が全面に打ち出されることになりました。
そしてその象徴としてクジラ保護に標準が定められ、クジラは地球環境を守るためのシンボルとなりました。
自然保護に関してカリスマ性に富む多くの理論家、運動化が動員され、それが1972年のストックホルム国連人間環境会議(地球サミット)の開催へとつながったのです。
国連会議では、アメリカの狙いどおりに捕鯨問題がメインテーマとなり、アメリカの提案による「商業捕鯨の10年間のモラトリアム勧告」が採択されました。
クジラが可哀相・・・などの感情論などいろんな切り口で捕鯨問題はありますが、
実際は政治的材料にされてしまった事が発端です。
<つづく>