ピロリーナの「今日もくじら日和」

思い立って、一時間の心の自由

「思い立った時に、突然実行できるのが青春だった」

わたしは37歳で子を産む前までずっと青春だったなぁと思って、朝の4時半に生後もうすぐ9ヶ月の娘に起こされて寝かしつけた後、ふと思った。

ベッドに入っても思考がぐるぐる回って、起きていまブログに向かう。

久しぶりに民放のドラマを観たら、出てくる東京の高層オフィスビルの職場やがやけに白々しく見え、私にとっては、家族旅行ならいつか行けるかもしれない外国旅行よりも遠い出来事だ。

「好きな時に、好きな場所へ行けることが青春だった」

とも言える。

東京で、地方には来ないけど観に行きたい芝居やコンサートがあれば、軽々と行けた。

お金や時間はどうにでも都合がつけられた。

当たり前だが、今は身が動けない。ちょっとそこまでの美容院でさえ都合をつけるのに夫とのスケジュール調整が必要になる。それも当たり前だが、面倒で行く機会を逃してしまうこともある。

いや、でも今、「好きな時に、好きな場所へ行く」を「今」実行したいわけでもないのだ。

命より大切な子を持った今、「娘を置いて出かけるなんてとんでもない、そこまでして行きたいものではない」という気持ちがずっと根底に流れてしまったのだ。

実際に、ちょっと夫婦で映画を観に行くというデートを1回やったことがあったが、頭の中は映画を観ながら預けている娘を時々思い出した。(もちろんとても良いリフレッシュになったし、やってよかった事だけど)

では、その私が言う「青春」って子育てが終わればまた来るじゃない、とも思う。

「好きなときに、好きな事ができる」時間が子供が成長するにつれ、徐々に増えてくるではないかと。

それは、突然思い立って、ふらっと買い物に行ったり、

突然思い立って、友達と遊んだり、

突然思い立って、映画を観に行ったり、

突然思い立って、飲みに行ったり

でもふと思う。

もうその子育ての生活に慣れてしまい年を経た私は、突然思い立って行動する習慣が無くなっているから、出来る意思をその時に今ほど、持っているのだろうかと。

人は身体も衰えるが脳も衰える。

自分の行動範囲は、人生を表す。

フットワークが軽いのは、若さゆえだけのせいでは無いと思いたい。

前頭葉が活発になったり衰えたり、柔軟になったり頑固になったりするのは、それまでの生き方だと思いたい。

いま私は、母脳になって、育児に専念する脳になってしまった。

でもこれからの5年、10年の生活や習慣で、使われる筋肉は衰えたり鍛えられたりするのだ。

それはより、今までより躊躇に

とても限られた時間で、

より調整された時間で。

それは「仕事」のように組み込まなければ、いけない。

(社会的義務のように、でもそれは心からそう生きたいと思うことを「仕事」として取り入れないと、時間を作ることが難しいと思った)

 

娘はとっても可愛い。

自分のそれまでの色んなことに対しての「好き」が吹っ飛ぶほど可愛い。

でも、吹っ飛んだら、困るのだ。

いや、そもそもそこまで好きだったっけ?と思いだせないぐらいに変わった。

そんな自分に愕然として、38歳を目前にして惑う。

全てを吸い取られた感覚。

また、今ならわかる

母の娘を想う気持ち。

 

早朝、眠いけれど娘が寝ていたこの一時間の心の自由。

この数ヶ月のもやもやとした気持ちを思い立って集中して書けました。

記しておかないと、また毎日に追われて何処かに消えていきそうで。

さぁ、娘が起きる時間です。

 

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